尊いのは足の裏である
仏教詩人、坂村真民の詩に「尊いのは足の裏である」というものがあります。
尊いのは足の裏である
一生 人に知られず 一生 汚いところと接し
黙々とその努めを果たしてゆく
足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ
足の裏から光がでる
そのような方こそ偉い人である
足の裏は人の身体を支える最も重要なところです。一方で汚い床の上に接しながら、光の当たらない人の目に触れないところです。
にもかかわらず、足の裏は黙々とその努めを果たしてくれています。そのことに気がつけば足の裏に感謝しなければなりませんが、気がつく人はほとんどいません。坂村真民は、日の目を見ないながらも謙虚に黙々と仕事をする足の裏に、人間としての生き方を重ね、見習わなければならないと諭しています。本当に偉い人とはそういう人だと書いています。
私たちはどうしても日の当たる仕事や人に注目してしまいがちです。ところが人間は弱い生き物であり、ひとたび新聞やテレビで有名になると、あたかも自分が偉い人になったかのように尊大になって、周りの環境に甘やかされ、力を失ってしまいやすいものです。
一方で世の中には日の目を浴びないところで、無名だけれど黙々と仕事に取り組んでおられる方が多くおられます。脚光を浴びるような日の当たる仕事ではないかもしれませんが、本当はそういう人たちが世の中の下支えとなって、崇高な仕事をされているのかもしれません。
坂村真民は詩の中で、足の裏を例に出して、謙虚に人に知られずとも愚直に黙々と与えられた仕事に励むことが美徳であると説いています。仕事に貴賤はありません。どのような仕事であっても、与えられた仕事にただ謙虚に黙々と取り組むのみです。無名だけれども地味だけれども、その一途な取り組みが社会の一隅を照らすほのかな力となる。そして、その力が多く集まれば社会をも照らす大きな力になるのだと信じています。
当社もそういう企業でありたいと考えています。有名にならずともよい、大企業にならずともよい。足の裏的な仕事をし、社会の一隅を照らしていく企業でありたい、それが当社の望みです。